元公認会計士受験生のブログ(Mなり)

会計士情報半分、雑談半分で再始動します

Twitterの本来の使い方からの逸脱によりつまらなくなった 飽きた

どうもこんにちは

 今回はブログらしくTwitterに関する雑談です。

 

 

ツイッター 飽きた

 

 

 私のツイッター利用歴と使用したての頃

私がTwitterを始めたのは高1の夏ですから、利用してかれこれ6年近くになります。

始めたきっかけはクラスメイトか誰かに

「おもしろいからやれば?」と勧められたといった定番のものだったきがします。

 

始めてから数年間は、思ったことを呟いたり、友達にリプライをしたりと楽しいツールでした。この頃はツイッターに飽きるなんて考えてはいませんでした。

ツイッターのアップデート

そこから時代の趨勢に合うようにTwitterもアップデートを重ね、引用リツイート動画投稿など様々な機能が足されたことで便利かつ使い方が多機能化しました。

 

昔と比べるとかなり変化しました。(いいねのマークやタイムラインなども)

またユーザーも劇的に増えたことで、ネット上に友達を作りやすくなったり、良い作品がすぐに広まったりと今ではネットワーク外部性*1を享受するすばらしいツールになりました。

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 ツイッターのアップデートの弊害

 

しかしその多機能化ユーザーの増大と同時にTwitterがというよりむしろユーザー自身が自らの負の感情を表出するツールになってしまいました。

 

動画投稿機能を使い自らの犯罪行為や迷惑行為を誇示するいわゆるバカッターや、引用ツイートを使いくだらない議論まがいのことを繰り返したり、影響力のあるものが 1人を袋叩きにしたりといったユーザーが出てきました。(もとからそういった傾向のある人が便利になったツイッターを悪用したとも考えられます)

 

アップデートによって加わった機能はうまく使えば自己をより上手く表現できるものですが、それをこのように悪いように使うユーザーが現れてきました。

これはとても心が痛むことです。

何かを得るということは何かを犠牲にするということでしょう。

多機能化によって得たもの犠牲になったものはご想像にお任せします。

 

 

私が思うツイッター本来の使い方

 

さて、冒頭で暗示していましたがTwitterの本来の使い方は、

思ったことを自由につぶやくといった、自分を表現するためのツールだと思います。

 

 

しかし今のツイッターを見る限りでは自分を表現というよりむしろ自分の力を誇示するためのツールやだれかを攻撃してストレスを解消するといった相手を監視、排除するためのツールになりつつあるように思います。

 

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このようなユーザーが増えてしまうと、本来の使い方をしたいユーザーが過剰にこのようなユーザーをおそれ、気を使い表現の程度が過度に委縮してしまいます。

何度もつぶやきが炎上している芸能人たちもこれを恐れているに違いありません。

 

最近ツイッターをやめた某社長もこのようなユーザーに愛想をつかしたのかもしれません。

 

 

私も最近まではツイッターをかなり使っていたのですが、誰かを過剰に批判するツイートだったり、くだらない定型ツイートに嫌気がさしました。

 

 

 

表現の自由は、それを追及することがほかの人を害するなら制限されてしかるべきですが、そうでないなら尊重されるべきです。

 

今のツイッターは本来の使い方をしたいユーザーの表現の自由が制限され、ツイッターを悪用し他人を攻撃したりする人の表現が尊重されるという構造になっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

追記: とかいいつつまたツイッターを始めてしまいましたwwwwww

 

 

 

 

 

 

*1:利用者や市場規模の増大に比例して財やサービスから得られる便益が増える性質。