元公認会計士受験生のブログ(Mなり)

会計士情報半分、雑談半分で再始動します

【大学受験】急遽私の担当になった無能担当者の話

どうもこんにちは。

 

最近人に話すような面白い出来事がほとんどないので昔の出来事を思い出す日々が続いています。

 

そんな中なぜか頭に浮かんだのは大学受験時代に出会ってしまった、とある担当者にまつわる話です。

大学受験から はや4年が経ちますが彼のインパクトがあまりに凄いのか未だ忘れることなく、むしろ鮮明に覚えています。

母親も彼のことは覚えているはずでしょう。

 

というわけでタイトル通りに私が受験生時代に出会った悪魔の担当者に関する話をします。(こっからは常体で)

 

 

 

 

 

担当者とは 

受験に対する相談に乗ってくれるメンター的な人。立場的にはバイトと社員の中間らへんの人

 

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本編

その塾に通い始めたのは高2の1月だった。

私の母親は心配性で、くわえて息子の大学受験初経験ということもあり1月以前から情報収集に奔走していた。

そのためか早い時期から入塾を勧めてきたのはなんとなく覚えている。

 

入塾前の説明をしてくれた担当者は塾長であり、とても頼りになった。

そして建前と本音を上手く使い分けて話せる人だった。

決して楽観的ではなく、時にはあけすけいうその姿は教育者としては新鮮であるしその分信頼もできる。

その場にいた母親も同じことを思ったらしいので私は即入塾を決めた。

 

以来受験のことは塾長に任せてきた。

私は優柔不断だったので国立文系か私立文系かを迷っていたが、私立でレベルの高いところを目指すように勧めてくれたのも彼であった。

 

そして入塾後4ヶ月がたった高3の5月の模試。

塾長からは「最初の模試は浪人生が強いから偏差値が低めに出る。だから結果にあまり落ち込まないこと。文系なら英語か国語のどちらかの偏差値が60くらいあれば上出来。」とアドバイスをもらった。

 

 

塾長のアドバイス通り特に気負うことなく模試に望んだ結果、科目平均の偏差値が70近くだった。(死文志望なので3科目だけど)

 

模試の返却後通例となっている個人面談時には

私の成長に(入塾テスト時、古典の点数は確か30点とかだった)驚いてくれ、さらなる高みを目指すための叱咤激励もくれるという至れり尽くせり。

 

さらに高2の8月頃に受けた2回目の模試も5月時に負けず劣らずの出来でありその時の個人面談でもためになるアドバイスをくれた。

正直順風満帆の受験人生、、であるはずだった。

(記述模試は油断して遅刻した)

 

 

 

 

もちろん私が話したいのは、そして読者のみなさんが聞きたいのは、履いて捨てるほどある輝かしい受験成功ストーリーではないだろう。

 

先述の通り担当者兼塾長である彼は、とても頼もしかった。

このまま下駄を預けていれば一抹の不安も抱えることなく本番に臨めたはずだ。

 

問題は彼の後任となる担当者である。。。

 

 襲来

 

高3の2回目の模試が終わった頃くらいに、突如彼の代わりとしてある男が担当についたのである。

 

今考えれば担当が代わるということ自体異例のような気がするがその時は深く考えることなく唯唯諾諾した。

 

さてここから「私と新担当者の150日弱戦争」が始まる。

 

 

言い忘れていたが、私が通っていた塾ではDVDで授業を受講してその後小テストを受けることになっている。

そして小テストの結果をチューターだったり担当者だったりに見せ軽くアドバイスをもらったり疑問点を尋ねたりするというのが流れであった。

 

その日も同じように受講が終わったあと彼らのもとにむかった。

 

ちょうどチューターが忙しそうだったので、私の担当者となった男のもとに向かったのだが、

ここからあれれ?   とその新担当者に勉強を始めて以来感じることのなかった一抹の不安を覚え始めるのである。

 

 

まず自己紹介がなかったのだ。

塾長からの引き継ぎで担当生徒の情報は渡されているはずだが私に対して彼から特に何も説明がなく

「どうでした?」

などという毒にも薬にもならない言葉を発するだけなのである。

 

そして1番驚いたのは

ほぼ終始無言であったことだ。

私も最初は気を使って"受験に対する不安などをでっち上げ話しやすい環境をお膳立て"しておいたのにただ相槌を打つだけ。

そして沈黙。

 

正直彼と話したいこともないのでさっさと終わらせたいのだが、退席を促すなどの素振りもないため、毎回なんとなく歯切れの悪いまま彼のもとをたつという日々が何日か続いたのだ。

 

最初ということもあり緊張でもしているのだろうか?

 

早計は良くないと思い、彼に対する評価は保留にしておいた。

 

 

その後もどうも心配で1ヶ月ほど彼の他の作業を観察(国語、英語、世界史に次ぐ新たな勉強科目の登場である)していたのだが、やはりどこかぎこちなく頼りない。

 

ある時彼が私以外の生徒と軽い面談をしている姿を観察したのだが、その時もほとんど口を開くことなく面談が終わっていた。

客観的に見るとよりその気まずさが伝わった。

 

複雑な家庭環境である生徒に無遠慮に家族のことを聞いてしまった教師並の空気である。

 

そしてこのときを持って

彼は多分「無能」ボタンを押しこっそり評価レバーを保留から 断定 にした。

 

おそらく「お勉強」は出来るので、よくドラマとかでみる現場をしらないキャリアみたいな男であろう。

勉強しかやってこなかったのか、人とのコミュニケーション能力が著しく欠けているのである。

 

年はおそらく20代後半。

生徒より年が近いチューターとも会話をしているところすらほとんど見たことがない。

 

そしてコミュニケーション能力が低いだけでなく、どうやらあまり仕事もできないらしい。

観察の結果チューターも彼のことを腫れ物を触るかのように扱っていることがわかった。

 

社会人としてどうなのか?

正直情けないにも程があった。

 

担当者に1番求められるのは、コミュニケーションをとることでの生徒のメンタルケアに努めることであろう。

気休めでもなんでもいいから何かしら声をかけてくれると受験生は安心するのである。

 

それをほぼ無言一辺倒で押し切られてしまっては受験生は可哀想で仕方がない。

なぜ我々側が余計な気を使わなければならないのか。

先程の私が面談姿を見た生徒は、心に一生残るトラウマを植え付けられたかもしれない。

 

私はこの日を期に、彼に頼るのはやめ出来るだけ距離を置くようにした。

 

どうしても彼しかいない時は仕方なく彼が主催する「チキチキ無言大会」に参加した。

 

確か最高記録は2分ほど。

時計を見たり、近くの文字を追ったりとなんとか時間を潰してこの結果である。

もちろん彼は殿堂入りしている猛者なのでだいたいは私が白旗をあげて大会は閉会している。

 

 

 

このまま波風をたてることなく終わるのかと思っていたらそんなことはなかった。

 

どうしても避けられないイベントというものが近づきつつあったのだ。

 

 

 

それは  三者面談 である。

 

簡単に言うと、担当者と私、そして母親との受験勉強進捗伝達や相談のための面談だ。

 

これはかなりまずい。

母親とあの担当者を対面させるのが。。

私も直前まで三者面談の存在を失念しており、新担当者と母親の対面の機会などないものだと思い込んでいた。

 

前回の三者面談は頼りがいある塾長とだったので今回も塾長とだと母親は安心しきっている。

 

心配性且つ思い込みが強くおしゃべり好きな母親と無言主義者の新担当者、そして私を触媒とする化学反応は面白そうではあるが、私の経験上"7割の確率で母親説教"が目に見えている。

 

この確率を下げるため当日までに担当者変更の旨を伝えようか伝えまいか迷ったが、あの無能担当者をオブラートに形容する語彙がうまく思いつかない。

 

 

そして当日。

 

 

新担当者と初めて向かい合った母親の表情は疑念に満ちていた。

そう私は変更の旨を伝えることができなかったのである。

 

 

 

母親の疑惑の視線はあえて無視し、私はお見合いの仲人並みの振舞いでなんとか間を保とうと努力をした。

 

 

母親も場をつなごうと会話を持ちかけるが新担当者は「はい」「そうですね」などの返答のみ。

 

もちろんそれが長く続けわけもなく5分後には早くもお手上げ状態。

 

あとはもう捨て鉢である。

 

私もついにだんまりを決め込みここからは急遽 新担当者 母親 私 による「第〇回チキチキ無言大会」が開催された。(母親は私が勝手にエントリー)。

 

こんなよく分からん大会にエントリーしているとはつゆ知らずの母親は、この空気に耐えかねてか10秒ほどでついに口を開こうとした。(私の勝利である。担当者はもちろんシード)

 

ちょうど私たちが向かいあわせで座っていた机の上には私の模試の成績推移グラフや受講進捗を表す資料があったのでそれを指し示しながら母親は彼に

「どうですか?」と尋ねた。

 

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さて新担当者はどう動くのか。

 

巨大な不安と一縷の期待と好奇を抱えながら私は意を決して新担当者の顔を見た。

 

見上げると考えているのか考えていないのかわからないマヌケな表情をしていたが待つこと約5秒、ついにその担当者が口を開いた。

 

 

 

 

「横ばいですね。」

 

 

 

ん????

 

それを聞いた母親ももちろんこんな表情である?

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母親としては、模試や学習状況を踏まえて

 

「このまま突っ走れば合格ですね。」とか「これくらいの成績でも油断は禁物です。」などという言葉を期待していたのだが、そんなことは小学生でもわかるはずだ。

新担当者は私の模試の成績のグラフの推移(偏差値60後半から70前半を行き来)を見て文字通りに「横ばいですね」と答えたのである。

 

 

 

もうダメだ。

この無能をカバーするのはさすがに無理だ。。。

 

母親も担当者の発言の意図に気付いてか微妙な顔をしてしまった。

 

 

そこからのことはなにも覚えてはいない。。。

 

 

 

 ………

 

おそらく時間にして30分ほど。

この地獄のような面談が終わりこの日は勉強はせずそのまま母親と帰路に。。

 

いつもはわりと饒舌な母親もあまりのショックからか言葉も発さずである。

 

彼に慣れていた私は「凄いな。あの担当者。自分だけでなく他人も黙らせる術も持っているのか。むしろ尊敬するわ。」などとくだくだ考えている余裕があったが

母親にはなんと言葉を掛けていいか分からず。。

 

そしてだいぶ時間がたった後母親が若干不機嫌そうに こう述べた。

 

 

 

「説明してくれる?」

 

 

私は現代文の勉強で培った構成力を活かし200字以内で簡潔に説明をした。

 

すると母親は

「呆れた。なんなのあの人? 社会人としてどうなの?普通向こうからしゃべるよね?」

 

などと今までの鬱憤が爆発したのか上〇恵美子もびっくりのマシンガントーク

 しまいには、もう顔も見たくないとのこと。

 

母親の発言は至極頷けるものなので私は反論することなく黙って聞いていた。

 

 

 冷静に考えてみるとゆゆしき事態である。

 

それなりに私の成績が良かったからまだしも、E判定だったり、受講スピードが遅れていたりする生徒を子に持つ親は彼が担当者だった場合気が気でないだろう。

冷静に模試を観察して「一番下の評価ですね。」とでも言うのであろうか。

 

末恐ろしいものである。

 

そして私と母親は「もうあの新担当者には何も期待しない。」

そう固く誓ったのである。

 

 

 

そのように決めてから、受験前最後の面談(2戦目)は特に事件が起こることはなかった。

面談を無難にやり過ごし、帰り道にお互い担当者に対するグチをたたくという良好な関係が続いていた。

 

 

以上が私と母親に禍根と、ある意味尊敬の念を残したとある受験担当者の話である。

 

 

後日談:

私は無事に第1志望の大学に合格し、真っ先にその報告を合格報告会時に塾長にした。

 

言い忘れていたが私の最初の担当者であった塾長はどこか別の所に出向していたらしく、合格報告会のこの日だけたまたま塾に戻って来たようである。

 

合格報告会では私のように大学に合格した学生のうちの数人が下級生に向けて受験生へアドバイスをすることになっていた。

 

 

合格報告会まで時間があったので、一緒に話すことになっていた学生数人と談笑をすることに。

 

当たり障りない話題が終わったあとふとだれかが「そういえば10月くらいに入ってきた男…」と遠慮がちに呟いた。

 

 

 

そこからは彼に対する不平不満の応酬が続いた。

 

どうやら私が思っていたことは他の受験生も思っていたことらしく、それを確認し合った私達は安心したと共に、よくやってこれたなとお互いの健闘を讃えた。

 

 

中には私よりもっとひどい経験をしていた人もいたようだがあまりにも衝撃的だったので忘れた。

 

 

 

 

この新担当者が何者なのか、そしてどれほどの人が彼に割り当てられスケープゴートとされたのかは分からずじまいであったが、受験生に余計な労力を使わせるような人材は即刻排除してほしいと思った。

 

母親もこの件を重く受け止め、弟の入塾先は別系列の塾にしたようだ。

 

 最後に

ここからこの新担当者を引き合いに出して「近頃の若者はだめだ。」とか「塾とはこうあるべきだ」などと講釈を垂れればブログらしくなると思ったのですが、そういうつもりはないですし、何よりもめんどくさいのでやめます。

 

 

特に言いたいこともないので最後に魚の写真でも載せてしめようと思います。

 

 

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 ピラルクーです。

 

ではまた。