20年間生きてきてまともに何かを継続したことがないということを証明してしまった
どうもこんにちは、多分もうすぐ大学4年のMなりです。
今回は短めに私Mなりという哀れな男について書き記します。
なんか自省録みたいな文体になってしまいましたが温かく見守ってください。
哀れな男
自己紹介
冒頭で述べたように私はもうすぐ大学4年になる。
大学4年といえば就職活動があるが、幸いなことに私は就職活動を終え、すでに社会人0年目としての地盤を固めている。例えば定期検診を受けたり、入社に必要な書類を準備したり研修を受けたりだ。
今後の自分と決心
そんな就職についてだが、具体的に私は会計士として社会に足を踏み入れる決意をした。その前段階としてまず監査法人に就職することに決めた。
私は会計士試験に昨年合格した。
しかし会計士試験に合格して会計士になれるというわけではなく、2年間の実務補習と会計士協会が設ける補習所に通い3年後の修了試験合格を経てはじめて 会計士 を名乗ることができる。
ここで監査法人に就職すれば実務補習を行うことも、補習所費用も払ってくれるため8割方の会計士試験合格者は監査法人に就職するのである。
一抹の不安
事実だけを見ると順風満帆に見えるかもしれない。
しかしこのように、現状を見つめ、自らのキャリアのスタートを思い浮かべている最中ふと思ったことがある。
それは 継続 についてである。
社会人として必要なスキルや能力、性格は多くあると思うが最も大切なもののうちの1つが継続だと私は考える。
ここで私が今現在に至るまでに自分なりに続けてきたことを思い出してみた。
例えば直近でいえば会計士試験勉強、大学外部でのバレー活動、大学受験勉強、部活などである。
うちいくつかは直接私の人生に役に立ったと言い切れないが、それでもこれらの体験は私の血となり肉となり、さらなる成長の養分となっているはずである。
そしてこのように色々な私の過去の足跡を振り返る道中、気づいてしまったことがある。
ワタシのケイゾク
それは 私は何かを3年を超えて継続したことがないのではないか ということである。
例えば上記で述べた会計士試験の勉強期間は2年、受験勉強期間は長く見積もっても18カ月、部活に至ってはバスケ部2年、ハンドボール部半年である。
大学外のバレーのコミュニティーに関しては1月も持たなかった。
過去を遡ってみる
いやいやいくら何でも何かしら継続していることがあるはずだ。。。
そう思いここで考察範囲を広げ、自分の今までの趣味や興味について捜索範囲を広げてみた。
①
高校で部活をやめ最初にはまったのが、ボルダリングである。高校の友達がたまたま興味を持っており誘われたのと、"運動をしなくては"と漠然と思っていたからだ。
さてどれだけ続いたか。
2回でやめた。(もはや継続期間など覚えていない)
1戦目 惨敗
②
次に思いついたのが筋トレである。近くに無料で借りれるジムがあったのと、これもまた暇を持て余していた中学同期に誘われて始めた。
3カ月しか持たなかった。
2戦目、成長をつゆほど感じられないほどの敗退
③
バイトを始めお金に余裕ができたからか、ゲーセンにはまった。
3カ月で飽きた(結果的によかった。)
3戦目 もはややけくそで敗退
④
高2で図書委員になったため本を読み始めるようになった。
受験勉強を機にほかの趣味に移ってしまい1年たたずにやめた。
4戦目 意外に善戦。
⑤
そのほかの趣味である携帯ゲームだが、携帯の故障とともに数カ月でやめた。
さらなる悲劇
そしてさらに私は転勤族のもとに生まれたということもあり、同じコミュニティーに3年を超えて所属したこともないということに気付いてしまった。
小学校は6年間あるが小1、小2~小4、小5~小6と違う学校で過ごした。
そろばん教室に通っていたが転校を機に3年たらずでやめた。
最後に…
原因が内にあるか外にあるかは別にしたとしても、どうやらこの仮説は成り立ってしまったようだ。
私の人生に立ちはだかるこの 3年という壁を乗り越えなければ、この先本当の意味での大人になれないような気がしてならない。これは私が社会に立ち向かうための最初の試練なのかもしれない。
実は直近で何が何でもこの壁を乗り越えなければならないわけがある。
お気づきの方もいるかと思われるが、私は現在大学三年生である。
つまり大学というコミュニティに所属して3年なのである。
もしこのジンクスとも呼べる3年という言葉に取りつかれたままでは私は
大学を中退し、もらった内定も取り消しということになりかねない。この可能性を考慮の上冒頭文で"多分"と修飾語を入れた。
これはなんとしても避けなければならない試練である。
現にわたしは大学というコミュニティに早くも(2年生の前期くらい)飽き始めている。
これは内的要因であろう。
来年度から弟も大学生になるということでさらに家計の費用がかさむことになる。これは外的要因であろう。
この3年目がおわり4年目になるまでのこのわずかな時間が有罪無罪判決までの猶予にしか思えてならない。もう私にできることは判決までの時間 継続の神さまに祈祷を 継続 するだけであろう。
この私の熱意が神さまに伝わり、少しでもこのタイムスパンが伸びることを願う。
ではまた。